ニッポンが明治だった頃のルイ・ヴィトンのプロダクトをご紹介!

「浮世絵」と聞いて、あなたは何を思い浮かべますか?

北斎? 東海道? 江戸?などなど、人によってイメージはさまざまではないでしょうか。職業柄かもしれませんが私は、ルイ・ヴィトンのバッグをイメージします。

なぜ浮世絵でルイ・ヴィトン?

その理由は、150年ほど前の明治時代に関係性が見えてきます。そこには、19世紀にフランスなどヨーロッパで流行したジャポニスム(Japonisme)と、市場ニーズに合わせながらプロダクトデザインを行ったルイ・ヴィトン戦略の結びつきが見えてきます。

フランスにおける日本美術の広がり

日本の美術品がフランスに広く知れ渡ったのは19世紀中ごろ。具体的には、1878年に開催された「パリ万国博覧会」で広く知れ渡ることになったといわれています。その頃の日本は明治初期で、新しい文化つまりは西洋文化へ意識が非常に高まっていた時代といえます。

日本の美術品がフランスで広く認知されたことには、以下のような時代背景が深く関係していたといわれています。

①江戸時代後期から流行していた浮世絵は、版画による製造手法だった為、大量に海外に出品できるほど、国内に広く流通していた。

②明治初期になると、国外貿易を推進し、殖産興業(大量生産)に取り組んでいた。その為、海外の知識吸収と併せて、海外における日本の地位向上にも取り組んでいた。その一環として、美術品を海外に出品することに対しても積極的だった。

19世紀におけるパリ万国博覧会が開催されていた当時は、大衆向け新聞の刊行が始まりマスメディアが確立された

日本は地位向上の為、大量の日本美術品を海外に送り、出品したパリ万国博覧会の記事が現地メディアに取り上げられたこと。
これらが、日本の美術品に対する興味・関心を高め、フランスにおいてジャポニスム(日本趣味)”という価値観が生まれていく過程に大きく影響したといわれています。

 

明治時代のルイ ヴィトンのプロダクト戦略

日本にペリーが再来し幕末と言われた1854年に、ルイ・ヴィトンは創業しました。1860年にはパリの万国博覧会で賞を授けられるほどに成長していきます。当時は主にストライプ柄のキャンバス地を使用していました。

2代目のジョルジュ・ヴィトンが1888(明治21)年に「ダミエ柄」を考案し、その後1896(明治29)年に現在広く知れ渡っている「モノグラム」柄を発表しました。
ルイ・ヴィトンの製品は、各国の王侯貴族が使用して知れ渡り、コピー品も出回るほど、市場でのニーズが加速度的に高まっていきました。

それでは、なぜルイ・ヴィトン製品の市場ニーズが広がっていたことと、日本の美術品が関係してくるのでしょうか?それは、先述したジャポニスムとつながります。

 

日本の伝統文化 × ルイ・ヴィトン

ダミエ柄は日本の市松模様、モノグラム柄は家紋をモチーフにされているといわれています。先述した浮世絵でも多く使用される日本の伝統的なデザインといえます。

ダミエ柄、モノグラム柄を考案した経緯は諸説ありますが日本の美術品をモチーフにされているのであれば、フランスで起こっていたジャポニスムというムーブメントに乗っ取った、大衆向けの製品戦略といえるのではないでしょうか。

▼モノグラム柄

▼ダミエ柄

現在のルイ・ヴィトンにおけるジャポニスム

日本とルイ・ヴィトンの繋がりは、ルイ・ヴィトンが創業まもない明治の頃まで遡れます。昭和期にルイ・ヴィトンが日本出店に伴い、日本国内にも広く受け入れられてきました。また、現在でも、日本の美術品をモチーフにした商品は発売されています。
▼ネヴァーフル MM モノグラム カブキ M43499

2018年に発売された山本寛斎のデザインをモチーフにしたアイテム。山本寛斎によるデザインは「達磨」や「歌舞伎」など、浮世絵をモチーフにしたものが多くルイ・ヴィトンとの親和性は非常に高いといえます。

▼キモノ PM モノグラム M42849

その名の通り、着物の襟元を模したハンドバッグです。こちらは、家紋をモチーフにしたといわれるモノグラム柄と、着物に使用される亀甲文(奈良時代から、おめでたい柄として使用される六角形の幾何学模様)をミックスさせた日本の伝統文化らしいデザインといえます。

 

最後に

ルイ・ヴィトンと日本の繋がりは、明治時代に遡れるほど、深い結びつきがあるといえます。
そこには、当時の日本の外交政策と、市場のニーズを読み取ったブランド戦略の結びつきが垣間見えるのではないでしょうか。もしかしたら、あなたが持っているルイ・ヴィトンにも、ブランドの歴史とともに、当時の時代背景が込められているかもしれません。

 

SHARE THIS ARTICLE