高級腕時計の時計通信

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27.11.2015

【時計業界の歴史を知る】クォーツショック後、王者パテック・フィリップは何をしていたのか?

Komehyo

ブログ担当者:須川

 

1969年、日本の時計メーカーである「セイコー」が世界初のクォーツ腕時計を発表しました※1)。この「事件」が時計業界を見事に揺るがしました。この「事件」のことを多くの人は「クォーツショック(クォーツクライシス)」と呼びます。スイスは世界の時計製造シェア争いでアメリカを上回ってから、時計業界の覇者として君臨していた国です。長く覇者として君臨した奢りがあったからなのか、「機械式時計からクォーツ時計」というシフトに出遅れた感があります。セイコーと同年にスイスのジラール・ペルゴもクォーツ時計を発表しているにもかかわらずです。  

 

その後、スイス時計産業は冬の時代を迎えます。その時にスイスの大手時計メーカーは何を思っていたのでしょうか?例えば、王者パテック・フィリップは?  

 

今週はクォーツショック後、パテック・フィリップが行っていたことをチェックしながら、どのようにしてクォーツショックを乗り越えたのかを考察したい思います。

↑パテック・フィリップはクォーツショック後

何をしていたのか?

 

 

 

 

 

 

■クォーツショックの衝撃!!

 

クォーツショックによりもたらされたものは非常に衝撃的でした。最初は高価だったクォーツ時計も次第に安価になり、製造ラインも量産ができるようになります。そして、それまでの機械式時計(ゼンマイ駆動の自動巻・手巻時計)の精度をクォーツ時計ははるかに凌駕していました。つまり、安くて時間も正確な時計がたくさん作れるということです。スイスが頑張って作っていた機械式時計は下火になり、スイスはクォーツ時計に注力した日本やデジタル表示クォーツで巻き返したアメリカに遅れをとります。さらに追い討ちをかけるように、オイルショックによる生産コストアップ、スイスフラン高騰、人件費の高騰などがスイス時計産業に襲い掛かります。そして、スイス時計メーカーは廃業になる企業が続出します。IWCが倒産の危機になったり、ブランパンが休眠状態になった事実も有名です。

 

スイスの時計メーカーはそれまで持ち合わせた機械式時計に見切りをつけてクォーツ時計にシフトチェンジするか、今までの機械式時計のノウハウで何か策を打つかはっきりする必要がありました。しかし、あまりの事態に現実を受け入れる時間が足りなかったためか、各メーカーが「迷っている」という対応が多く、事態を好転させることができません。スイス時計産業の未来を懸念するまでに事態は陥ってしまいます。        

 

 

 

 

 

■ブレずに機械式時計を作り続けるパテック・フィリップ!

 

1969年に始まるクォーツショックによりスイス時計産業が下火になったのは1970年代~1980年代です。その期間にパテック・フィリップが行ったことを見てみましょう。    

 

 

 

<1970~80年代のパテック・フィリップの動き>

 

①手巻ムーブメントの高振動化(1970年代中ごろ)

薄型ムーブメントCal.175を進化させ、21600振動/時のCal.177にします。さらに、28800振動/時のCal.215を開発しました。    

↑手巻ムーブメントCal.215

 

②基幹自動巻ムーブメントの開発(1970年代~1980年代中ごろ)

新たな設計の自動巻ムーブメントCal.350(Cal.1-350)や、その後の軸となる自動巻ムーブメントCal.310(バイプロダクトCal.335/改良機Cal.315/330)の開発。さらに、マイクロローター自動巻Cal.240も開発しています。    

↑マイクロローター自動巻Cal.240

 

③ノーチラス登場(1976年)

今までのドレスウォッチではない新たなスタイルのパテック・フィリップが登場します。その名も「ノーチラス」。途中で一部クォーツ式も登場しますが、基幹モデルは自動巻式です。ただし、このモデルは後述する「カラトラバ」とは異なった理由で登場したように感じます。つまりこのモデルは能動的に開発したというより、1972年に登場したオーデマ・ピゲの「ロイヤルオーク」に対抗して出した「受身の作品」と感じます。その証拠に、デザインもロイヤルオークと同じくジェラルド・ジェンタ氏が行っています。

↑ノーチラス:画像は「3800」

 

 

④「カラトラバ」ラインのリニューアル(1982年~後半)

主軸モデルである「カラトラバ」ラインを、上の①②で紹介した新ムーブメントでリニューアルします。1970年代前半にかつてのロングセラーカラトラバである「96(クンロク)」が生産終了していると言われていますが、1982年に後継機種の「3796」を登場させます。手巻のCal.215を搭載した新基幹モデルです。さらに、「3820」「3923」「3919」「3992」「3998」など新時代カラトラバが次々と登場します。多くのモデルが登場していることからも、「積極的にカラトラバ押しを続けた」と言えます。ケースサイズは3796が31mm弱でしたが、1980年代中ごろ以降に登場するモデルからは32mm~34mmぐらいの大きさになります。

↑カラトラバ「3796」

 

 

⑤「キャリバー89」の開発 (1980年~89年)

1989年の創業150周年を記念して、技術の枠を集めた超複雑懐中時計「キャリバー89」を開発します。様々な機能を搭載した機械式時計です。1980年から開発をスタートし、9年後の1989年に完成したそうです。    

 

 

⑥新型「永久カレンダー」の発表 (1980年代中ごろ)

新型ムーブメント搭載の永久カレンダー「3940」、新型永久カレンダークロノグラフ「3970」の発表。もちろん共に機械式時計です。

 

↑永久カレンダー「3940」

 

 

 

ここまでに紹介をした6つのパテック・フィリップの動きを見て何を感じるでしょうか?機械式ムーブメントをブラッシュアップし、新時代のモデルを続々登場させます。 パテック・フィリップはクォーツショックに対して「ブレずに最高の機械式時計を作り続けた」と言えるのではないでしょうか。もちろんパテック・フィリップは、かつてよりクォーツ時計の研究をしており、クォーツショック後にはクォーツ腕時計も発表しています。しかし、あくまで「主役は機械式時計」というスタンスの中でクォーツ時計も製造していたにすぎません。        

 

 

 

 

 

■パテック・フィリップが機械式時計の復活に援護射撃!

 

淡々と機械式時計を作り続けるパテック・フィリップですが、その後、機械式時計の人気が復活していきます。それは、様々な人物・メーカーの努力の結晶で生まれたものでした。1983年に「機械式時計のみを作る」というコンセプトでブランパンが復活します。そして、1985年には才能ある時計師が協力体制を作る新組織「独立時計師アカデミー」が発足。同年、IWC「ダヴィンチ」やユリスナルダン「ガリレオガリレイ」という個性的な機械式時計の発表。1986年、フランク・ミュラーやオーデマ・ピゲが腕時計初のトゥールビヨンを作成。さらに続々と機械式時計復活のための動きが起こります。

 

パテック・フィリップは機械式時計復活にインパクトのあることを行った印象はないのですが、「パテック・フィリップという最高峰メーカーが淡々と最高の機械式時計を作り続けていた」というその事実が、機械式時計復活の援護射撃になっていたのではないでしょうか。  

 

最後に、「パテック・フィリップはどのようにしてクォーツショックを乗り越えたのか?」という問いに対する私なりの回答を述べます。パテック・フィリップはクォーツショックに対して、最高の機械式時計を作り続けるという「継続」を選んだのです!私はそう信じています。      

 

 

 

 

※1・・・腕時計ではない「クォーツ時計」自体は1927年から存在します。しかし最初は小型化が難しいため大型なものしか存在しませんでした。一般に普及しはじめるのは1960年代になってからです。そして1967年に「クォーツ腕時計」の試作品が作られ、1969年についにセイコーから「アストロン」という初の市販モデルが登場しました。

 

 

 

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